クリストフ ポコは1973年1月21日、ヴェニスィウに生まれる。リヨン人の父とノルマンディ人の母を持ち、生まれてから少年時代の数年をリヨン6区のブジョー通りで過ごす。後、母の故郷ノルマンディ地方のルーアンに移り、学業を修了した。
15歳で料理の世界に入り、ルーアンにあるミシュラン2つ星レストラン“ジル”で見習生としてジル トルナードを師と仰いだ。2年後、料理の職業適性証書を取得。師ジル トルナードからの勧めで当時ドーヴィルの“ホテルノルマンディ”の料理長、ジェラール サレの弟子に入る。その1年後、シェフからニュースを告げられた。パリの超高級ホテル、“プラザ アテネ”での地位を得たため、ドーヴィルを離れること。そして新境地でのチームの一員として必ず呼び寄せるという約束。
シェフからの知らせを待つ間、“ホテルピカルディ”のオープニングのためトゥケにたつ。数ヶ月後、方角をパリに向け、当時マニュエル マルティネス(フランス最高勲章受章者)が料理長を務める“トゥール ダルジャン”の厨房に加わる。1992年、待ちに待ったパリの超高級ホテルの厨房での師匠との合流。その後4年間の間に料理におけるすべての業を身につけた。この間に10ヶ月間の兵役で文化大臣付きの料理長も経験する。1996年、師から独り立ちすることを決意する。ホテル“ブリストル”の当時シェフであったエミール タブルディオ氏(フランス最高勲章受章者)、次にレストラン“プルニエ”のシェフ、ガブリエル ビスカイユ氏(1982年フランス最高勲章受章者)を師事し、その後、パリ5区のレストラン“トゥトゥンヌ”にて初めての料理長の職に就く。
1998年、日本に一目ぼれしフランスの首都を離れ日の出ずる国へ。25歳という若さにもかかわらず、料理学校として名高いコルドンブルーで教職に就いた。2000年、世界的ホテルチェーンのアコーグループから声がかかり、ホテルソフィテル東京のオープニングに向けて総料理長の職に。後に、飲食部ディレクター、アコーグループジャパンの総料理長の座に就くことになり、レストラン“プロヴァンス”を通してソフィテル東京の評判を確実なものにした。
33歳のとき、一つのことだけを強く望むようになった。『自分の店をもちたい』と。そして2007年9月、リヨン人として自分の生まれた地リヨンに敬意を表して、“日本で初めてのリヨン人によるブション”を歴史ある真の街、神楽坂に開くことにする。料理人として働く一方、同時に数々の料理の賞に輝き、ニューヨークでの2つの料理祭にも参加した。現在では料理界の協会、団体や料理学校への参加も精力的に行っている。レストラン“ルグドゥノム ブション リヨネ”で、心のこもった、本物の雰囲気を大切に皆様のお越しを心よりお待ちしております。